特許翻訳はなくなるか?~MTPE(機械翻訳後編集)の現場から~

目次

機械翻訳の現時点での精度

弊社では、英語から日本語への特許翻訳において、MTPE(機械翻訳後編集、ポストエディット)を受注するようになってから10年以上経ちます。この10年の間に、機械翻訳は実に著しく進歩し、ついに最近では生成AIが登場しました。その結果、機械翻訳エンジンからはかなり高度な翻訳文が出力されるようになりました。 タイトルにもあるように、翻訳業界では、将来、翻訳業務がなくなるか?という議論が盛んになされています。この問題に対し、特許翻訳の将来に関して筆者が考えることをざっくばらんにお伝えしたいと思います。

特許翻訳はなくなるか?

結論から言って、特許翻訳業務の大部分はなくなると思います。大部分がなくなるというのは、ごく一部の特許翻訳者だけが翻訳業務(実際にはMTPE業務)に従事することになるだろうという意味です。おそらく、人間による翻訳はすべて機械による翻訳にシフトし、その機械翻訳後の修正(MTPE)の業務だけが残るのではないかと考えます。今後もAI翻訳の機能は指数関数的に向上することが予想されます。それもものすごく近い将来。このような状況で、人間翻訳であることのメリットがもはやなくなるというか、「人間翻訳」よりも「機械翻訳+人間の修正」のほうが、精度が高くなると思うのです。あとはやはり、AI翻訳の最大のメリットである「スピード」に人癌が勝つことはできません。

特許翻訳業務の大部分はなくなると考える理由について、現在のMTPE実務の様子を交えながら以下に説明します。

最新のMTPEの実務

冒頭でご説明したように、機械翻訳エンジンからはかなり高精度な翻訳文が出力されています。MTPE業務でそれを修正する必要がありますが、特許翻訳経験が浅い翻訳者が見ると、どこが間違っているのか分からないくらい、正解に近くかつ流暢な翻訳文です。以下では、そのようなトリッキーな翻訳文について、具体的にどのようなポイントで修正しているのか?機械翻訳はどのような部分で間違えるのか?について説明します。

用語の統一

実施されていない翻訳文がほとんどです。用語の統一については、特許翻訳ではかなり厳しく要求されます。目視では見逃すことも多いため、用語の統一をチェックするためのソフトも存在します。余談ですが、弊社では、「色deチェック」というWordアドオンと、自作のExcelマクロを利用して、用語の統一が図られるようにしています。こうした人間や独自のツールによる介入が必要です。

定訳のない新しい用語

特許明細書には、最先端のテクノロジーが登場します。これらはまったく新しい概念のため、これまでに決まった言い方もなく、その訳語も存在しません。これらを翻訳する際は、最新の論文などを入念に調べたうえ、造語(英文併記)を使用して、それをクライアントに提案するというケースが多いと思います。機械翻訳は、基本的に過去のデータを使用するので、こうした未知の定義の情報を持っていません。生成AIの場合でも、たとえば、ChatGPTに聞いてみても、正しい回答は返ってきません。ここでもまだ人間の手が必要なようです。

類似の意味を持つ日本語の選定

この問題は、例を挙げて説明すると分かりやすいので、ケースごとに説明します。

離間と離隔などの従来人間が間違えてきた日本語

たとえば、「離間」という日本語があります。英語の明細書では、「spaced apart」などと記載されています。かなり多くの翻訳者が「離間」と訳していると思います。しかし正確には「離隔」と訳すべきです。「離間」といのは、本来、人間と人間の間を離すという意味で、特許明細書にあるような部品と部品(物と物)の間を離すときは、「離隔」と翻訳しなければなりません。以下のサイトが参考になります。

特許翻訳 A to Z
『離間の誤用、みんなで使えばこわくない?』 特許明細書に多い日本語の誤用のひとつに、離間(りかん)があります。 意味は、「仲たがいをさせること。互いの仲を裂くこと」。ごく一部の特殊な例を除いて、通常は特…

「離間」は、これまで人間ですら間違えてきた翻訳で、この間違った翻訳を食べて育ってきた機械翻訳エンジンは、当然間違った翻訳を出力することでしょう。

体積と容積などの紛らわしい日本語

体積とは、物体が空間で占める大きさを意味し、容積とは、容器に物を入れることのできる量を意味します。これは特許翻訳者であれば知っているはずの情報ですが、機械翻訳においては、間違っているケースが散見されます。機械ではコンテキストも考慮されているはずですが、そもそも日本語が紛らわしいケースの翻訳には、まだ人間の手が必要かもしれません。

形式知化されてない人間による判断の反映

特許翻訳において最も需要な考えは、「誰が読んでも一意の解釈になる」ということです。何人が読んでも何語においても原意と全く一致する翻訳文を作成しなければなりません。翻訳時の具体的な作業としては、一文一文、意図しない疑義を生まないかどうか確認しながら進めます。よくある問題が、複雑な係り受けのせいで、原意の伝達を誤る可能性を経験することです。「翻訳文として間違っているわけではないが、別の表現のほうがより誤解を生みにくい」という非常に高度なレベルの判断をしなければなりません。さらにこれらの作業は、各翻訳者、翻訳会社、特許事務所が各自の経験で行っています。これらの判断の多くがこれまでの拒絶理由経験に基づいていると思いますが、マニュアルや事例集が十分に存在するわけではなく、各自の頭の中にある情報がほとんどだと思います。したがって、こうした情報を機械は持っておらず、出力に反映させることができません。これは、筆者が最も機械翻訳を信頼していない、最新の注意を払って修正する部分でもあります。

特許明細書作成能力

上記の例と関連しますが、上級レベルの特許翻訳者は、特許明細書作成能力を備えていることが多いです。原文を翻訳した後の状態が、独立して良い特許明細書になっている必要があるためです。現在、生成AIが特許明細書をかなり正確に作成できるようになっていると聞きますが、こうした機能が特許翻訳の出力にも反映されるようになるといいと思います。

クライアントからの指示

当然ながら機械翻訳では考慮されません。しかも、クライアントからの指示は大切なノウハウでもありますので、このデータが簡単に共有されるとは思えません。人間翻訳者が確認しながらMTPEを進めることになっていると思います。

符号のテレコ

たとえば、以下の例をご覧ください。

ソース

If an incoming directive specifies adjusting system settings based on a command sent by the primary controller in step 318 of procedure 300, the flow of operation in procedure 400 returns to step 402 once the directive has been carried out.

機械翻訳出力

着信指令が、手順 400 のステップ 318 でプライマリ コントローラによって送信されたコマンドに基づいてシステム設定を調整することを指定している場合、指令が実行されると、手順 300 の操作フローはステップ 402 に戻ります。

手順 300 と手順 400 がテレコになっていることに気づきますか?

符号が正しく訳されているかどうかは、人間の目視に加え、符号チェックツールを利用されることが多いです。しかしツールチェックは文単位で実施されるか、または翻訳支援ソフトの場合はセグメント単位で実施されるので、一文のなかで符号がテレコになっていても符号の合計数は一致してします。結果として、その誤訳は見逃されてしまいます。こうした符号どうしのテレコは、符号チェックツールでも見つけることができない誤りなのでやっかいです。したがって、ここでも人間の介在が必要です。

上級レベルの特許翻訳者だけが従事する

ここまで読むとお分かりのように、上記のような微妙な間違いの特定や高度な修正は、上級レベルの翻訳者にしか対応できません。冒頭で説明したように、経験の浅い翻訳者が読むと、どこが間違っているのか分からない翻訳文が出力されています。こうした微妙な間違いに、高度な英語力・日本語力、技術理解力、特許明細書作成能力、特許制度理解力で対処しなければなりません。

AI翻訳が取って代わることができない翻訳分野

AI翻訳が人間翻訳に取って代わるということについては、分野によって異なると思います。個人的には、特許翻訳や契約書翻訳などの法律にかかわる文書の翻訳の場合、誤訳によって権利が認めてもらえなくなったり、訴訟に発展したり、事業継続が妨げられたりするおそれがあるので、必ず人間のチェックを入れるべきだと考えます。また、医療関係の文書の翻訳など、誤訳によって生命が危機にさらされる可能性がある場合も、AI翻訳にだけ任せることはできません。将来、人間の翻訳が不要になるようなAI翻訳が登場したとしても、翻訳文を提供する責任の所在を明らかにしなければなりません。

機械翻訳が世に生まれたときは、特許明細書や契約書などの癖が強い文章は機械翻訳が得意とするところであると言われていましたが、その法的な保証の担保は、AIは最後まで対応できないと思います。実務的には、AIが翻訳したものを翻訳会社や法律事務所の責任において法的場面に放つかどうか?が議論されることになると思います。

マーケティング、エンタメ、ゲームなどの分野では、キャッチコピーなど、一文で商品やサービスのプロモーションを実施するような性質のもの(従来のトランスクリエーション)は、AIだけでは対応できないと思います。ただし、用語の提案はAIがたくさんしてくれると思います。

IPアドバイザリーの代表、宮崎幸奈は知的財産翻訳検定 英文和訳1級(電気・電子工学)と中国語のふたつの科目に合格しています。これは日本初の記録であり、現在でも合格者は日本で2名しかいません。弊社で受注した翻訳は、この試験に突破した翻訳者のみで対応させていただきます。上記のとおり、MTPEの受注実績も非常に豊富です。高精度な翻訳サービスを提供いたしますので、安心しておまかせいただけます。お気軽にお問い合わせください。

株式会社IPアドバイザリー
石川県野々市市にて特許関連の各種業務を行なっています。販路開拓や知財コンサル、特許翻訳のことなどどうぞお気軽にお問い合せください。
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