日本製鉄によるUSスチールの買収劇と両社の保有特許のゆくえ

買収の位置づけ
日本製鉄によるUSスチール買収のニュースがしばらく世間を騒がせていましたが、先週ようやく決着したようです。しかしながらこの買収は制約が多いものとなり、専門家からは困難なものとなることも懸念されています。具体的にはどのような内容になっているのでしょうか。ビジネス、会社法、知的財産の観点から考察してみました。
まず、今回の日本製鉄によるUSスチール買収に関して、主に法的な観点からまとめました。これは、ロイター記事(2025年6月18日付)を要約したものです。
- 買収完了日
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- 日本製鉄がUSスチールを 総額149億ドル(1株55ドル)で100%取得し、18か月に及ぶ交渉が決着
- 「黄金株」付き国家安全保障協定(NSA)
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- 米政府が非経済的な特別株(黄金株)を保有し、①取締役1名を指名し、 ② 工場閉鎖・生産能力削減・本社移転・社名変更・海外オフショアリングなどの重要決定に拒否権を得た
- 国家安全保障の名目だが、専門家は「政治的コントロールが強く、対米投資の抑制要因になる恐れ」と警告している
- トランプ大統領の役割
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- バイデン前政権に阻まれた後、トランプ政権が再審査を指示し、大統領令で承認。労組の反対や政治的駆け引きを経て実現した
- 日鉄の戦略的メリット
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- 米国内需要とインフラ投資を取り込み、粗鋼生産能力86百万トンに拡大(目標100百万トン)。
- 2028年までに110億ドルの追加投資(うち10億ドルを新製鉄所に投入予定)。50%関税を回避しつつ高級鋼で競争力を強化する
- ステークホルダーの反応
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- 全米鉄鋼労組(USW)は「コミットメントを監視する」と表明した。
- 弁護士らは「黄金株は異例で、将来の外国企業による米企業買収の前例となる」と指摘している。
日本製鉄は149億ドルでU.S.スチールを完全買収し、米政府に拒否権を与える「黄金株」付きNSAを受け入れることで政治的ハードルを突破。これにより日鉄は米市場での生産基盤を強化しつつ、米政府は国内雇用や生産能力への影響を直接コントロールできる枠組みを確立した。
法的に特許はどう移転・管理されるか
項目 | U.S. Steel 側 | 日鉄側 |
名義 | 株式買収なので 直ちに 特許権者(Assignee)は U.S. Steel のまま。後日、社名変更や再編がある場合は USPTO/JPO へ「特許移転(Assignment)」を届出 | 従来どおり日本製鉄(Nippon Steel Corp.)名義 |
実質オーナー | 親会社の日鉄グループが経済的利益を取得。ただし NSA により、米国外グループ会社への譲渡や使用許諾には米政府の同意が必要になる公算大 | 変更なし |
既存ライセンス | 既締結のクロスライセンス・実施契約は原則存続(契約条項に「Change-of-Control」条項が無ければ継続) | 変更なし |
維持管理 | 年金費用・維持年金は U.S. Steel が引き続き負担。日鉄は重複技術の整理や放棄判断を行う可能性 | 自社で維持 |
CFIUS(対米外国投資委員会)、黄金株による制限としては、以下の可能性が挙げられます。
- 米政府の承認が必要な場面
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- 特許を日本本社や第三国グループに譲渡、新設会社へのライセンス供与など、
- 米国内の特許権取扱いに関する重要決定については、政府に承認権が及ぶ可能性があります。
- 権利名義には反映されないが実質的制約
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- 登録名義自体は変わらず Nippon Steel North America 名義で維持可能でも、
- 「どの技術を誰にどう使わせるか」は政府の監視・同意が絡む構造になります。
日鉄の米国における特許出願件数
日鉄とUSスチールとの間での特許の法的なやりとりについて前述しましたが、技術的にはどのような側面があるでしょうか。両社の保有特許のポートフォリオやシナジーを検討するために、まず日鉄の米国出願についてまとめました。
- 日鉄の米国における特許出願・保有件数
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- 日鉄 : 2024 年の米国特許取得件数 321 件で「IPO Top 300」138 位、北米だけでファミリー約 2,000 件を保有と幹部が説明(ipo.org、fortune.com)
- 保有特許の視覚化(PatentField)
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- PatentField において、日鉄の米国出願のうち生存特許を検索したところ、1062件抽出されました。これらについて簡易的にマップを作成しました。
技術分野(縦軸)×出願年(横軸)(件数積上げ)

技術分野(縦軸)×特徴キーワード(横軸)(バブル)

被引用特許上位10件
特許番号 | 名称 | 被引用件数 | |
1 | US6739099 | Column-and-beam join structure | 31 |
2 | US5812697 | Method and apparatus for recognizing hand-written characters using a weighting dictionary | 29 |
3 | US6396507 | Data storage/access network system for zooming image and method of the storage/access | 27 |
4 | US6380953 | Method of display scrolling along a timebase and an apparatus for performing the method | 25 |
5 | US5802068 | Multiplexing apparatus of a plurality of data having different bit rates | 18 |
6 | US5867819 | Audio decoder | 14 |
7 | US5612238 | Method of manufacturing first and second memory cell arrays with a capacitor and a nonvolatile memory cell | 12 |
8 | US5751356 | Video/audio signal coding system and method | 11 |
9 | US6029036 | Liquid developing method and liquid developing apparatus | 10 |
10 | US5672526 | Method of fabricating a semiconductor device using element isolation by field shield | 9 |
分析用データ
上記分析使用したデータは以下からダウンロードできます。分析の際に抽出したデータについては、出願人名寄せの確認を厳密に行っていたいため、正確に抽出できていない部分があるかもしれませんが、よろしければご利用ください。
M&A前のU. S. Steelの特許出願
次に、U.S. Steelの特許出願を見てみます。
- U.S. Steel
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最新の年次報告書記載値では「5~15 年の残存特許が数百件」規模と示唆しています。公開データベースでは、2025年2月時点で200件強の有効特許が確認できます(investors.ussteel.com、patents.justia.com)
- 保有特許について
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上記記事で200件強の特許と記載されているのでPatentFieldでも実際のデータの抽出を試みましたが、このとおりの検索を行うことができませんでした。いずれにしても、日鉄の米国特許出願(生存分)1000件に対し、U.S. Steelの特許出願が200件ということです。
日鉄×U.S. Steel ― 5つの主要シナジー
ビジネスの側面も含め、日鉄とUSスチールにとって考えられるシナジーについてまとめました。
領域 | 具体的な掛け合わせ | 期待効果 | |
1 | e-Mobility用 AHSS | – 日鉄:1.0 GPa級以上の超高張力ホットスタンプ鋼、Bピラー内板用極薄 1.5 GPa級など(既存ポートフォリオ) – U.S. Steel:NanoSteel®/XG3™(980 MPa~)を含む延性高い第3世代 AHSS + 米国内ローラーヘース生産体制(investors.ussteel.com、greencarcongress.com) | – 北米 OEM に“現地調達+高性能”を同時提供 – 特許クロスライセンスで加工窓の広いグレード開発が加速 |
2 | 電磁鋼板(EV モータ・変圧器) | – 日鉄:HiB GO(磁束密度 1.9 T)や6%Si NGO などプレミアム級 – U.S. Steel:InduX™ NGO(Big River 新ライン、2023年稼働)(magneticsmag.com、investors.ussteel.com) | – 日鉄の結晶方位制御・薄板化ノウハウを Big River ラインに適用 → 25 µm級極薄 NGO を米国産で供給 – IRA「クリーン車 45X 税額控除」材料要件を満たしやすい |
3 | 低炭素製鋼プロセス | – 日鉄:水素・バイオコークス吹込み/CCUS付き高炉、COURSE50 技術 – U.S. Steel:EAFベース mini-mill(Big River)+DRI計画(nipponsteel.com) | – 高炉×EAF ハイブリッド最適運用で CO₂原単位を段階的に削減 – 日鉄の還元スラグ/フラックス特許を EAF へ転用し歩留り向上 |
4 | 水素インフラ・高圧配管鋼 | – 日鉄:30 %Ni 系オーステナイト鋼(水素脆化耐性) – U.S. Steel:Mn-C 系+Ni/Cr 制御で水素脆化耐性を高めた鋼 alloy 特許(出願 2023)(patents.justia.com) | – 材質フェーズ図が異なるため クロスミキシングで最適コスト帯を探索可能 – 米国パイプライン法規(ASME B31.12)の更新を共同で主導 |
5 | 特許・研究拠点ネットワーク | 日鉄:北九州 R&D、CNS(=China)、欧州 TechCenter U.S. Steel:Pittsburgh Research & Technology Center + ARTC(Detroit) | – 双方の材料DB/CAEモデル統合で設計サイクル短縮 – 共同出願+二重審査体制により、米特許審査の早期化(Track One)と JP/EP 同期を図る |
民間のM&Aに政府が介入するということ
今回の買収は、単なるM&Aではなく国家安全保障と政治的判断が強く関与した取引です。「CFIUS が審査を主導し、バイデン氏が拒否、トランプ氏が黄金株付きで承認」というプロセスは、政府の経済介入の典型例であり、企業経営の柔軟性が制約される構造になっています。今回の買収ではその前例を作ってしまったということについて、さまざまな懸念事項が存在します。今後どういった流れが予想されるかまとめました。
- 1. 前例として他分野にも波及するか?
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- トランプ政権は「例外的な一件」としつつも、将来的に半導体・エネルギー・防衛など戦略産業でも同様の手法を拡大する可能性があるとみられています (FT)
- 欧州や中国でも国家的統制手段として類似制度を導入済。
- 2. 対外国投資家の「冷却効果」
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- リスクが可視化され、特に利害調整の難しい国々(中国、ロシア)や資本関係が戦略的に重要な業界では撤退または慎重姿勢が強まる懸念があります(money.usnews.com)。
- 一方で、米国の安全保障政策への協調と妥協が可能なパートナー(日本や欧州企業)には「件付きで参入を許す」新たなラインが引かれる可能性があります。
- 3. CFIUS審査や大統領令の運用基準の整備
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- 制度悪用による政治介入批判が高まれば、今後は「どの案件に限定して黄金株が適用されるか」を明示するガイドライン整備が求められます 。
- 今回の施行が試金石となり、ルールの透明性と事前予見可能性の強化が進む可能性があります。
まとめ
政府がM&Aに介入することがいいことか悪いことかは別にして、今後米国の企業とM&Aする場合は、日本国内でのガバナンスをしっかり整備しておかないといけないということですね。知的財産に関する活動もガバナンスに影響を与える要素の一つです。IR情報に知財に関する情報を適切に記載するためにも、日ごろから知財を意識して活動するとよいと思います。
今回のM&Aへの米政府介入は、日鉄が保有していた特許の扱いにも影響が及ぶことが上記で考察されました。それを吸収できるようなシナジー効果が生まれることを願っています。