富士フイルムの化粧品事業参入
写真用フィルムの世界的メーカーである富士フイルムは、2006 年に化粧品分野に参入し、2007年にはスキンケア製品「ASTALIFT(アスタリフト)」シリーズを発売しました。以来、スキンケアシリーズにとどまらず、基礎化粧品にまでラインナップを拡大しました。アスタリフトは、日本市場のみならず、中国、東南アジア諸国、欧州でも販売され、グローバルブランドとして成長を続けています。
富士フイルムの化粧品事業参入は多角化の成功事例として取り上げられることが多いと思います。この新規事業参入のきっかけとなったのが、デジタルカメラの普及によるフィルム市場の急激な縮小です。同社はこの危機のなかで「技術の棚卸し」を行い、4つの研究・技術に注目しました。フィルムの主原料であるコラーゲンの研究、写真の色褪せ防止の抗酸化技術、光解析・コントロール技術、そして薄いフィルムに塗布する成分を極小化するナノ化技術です。これらの技術に基づいてアスタリフトが開発されました。
このようにアスタリフトには富士フイルムが蓄積してきた高度な技術が注ぎ込まれていますが、富士フイルムの新規事業参入の成功の秘訣が以下のように紹介されています。
それは、新規事業ターゲットを土地勘のある事業分野に置いて、既存事業とのシナジーを生み出したことにあります。土地勘のある事業分野というのは、必ずしも似たような事業というわけではありません。フィルムと化粧品のように一見全く違う分野に見えるけれど、根底では技術や事業に連続性があるというものも含まれます。技術や事業の連続性を生かして隣地に事業を広げていき、時間をかけて事業構造の転換を図っていったことが成功につながった要因と言えるでしょう。
富士フイルムが構造転換を成功させた新規事業の取り組み方とは? ProSharing Consulting
富士フイルムの多角化を特許分析で説明すると?
富士フイルムの多角化戦略では、コア技術がしっかりと活かされています。これらのコア技術について考えるとき、特許の面ではどのような検討がなされるでしょうか。富士フイルムの多角化戦略を特許分析によって説明しようとした試みがあります。このことは「IPランドスケープを用いた新規事業探索モデルの検討‐富士フイルムの「化粧品事業」探索への適用」(伊藤隆太、杉光一成、金沢工業大学大学院)という論文に記載されています。本論文で提唱された新規参入市場を探すための手法が興味深いので紹介したいと思います。ここでは、IPランドスケープの考え方が取り入れられているため、まずIPランドスケープについて簡単に説明します。
IPランドスケープには複数の定義が存在しますが、一般には、知財情報及び非知財情報を分析し、現状の俯瞰・将来展望を経営者・事業責任者に提示することを指します。IPランドスケープでは、以下のような作業を行います。
IP ランドスケープの基礎と現状(乾 智彦)[パテント2018、Vol. 71 No. 9)]
- 知財情報と市場情報を統合した自社分析,競合分析,市場分析
- 企業,技術ごとの知財マップ及び市場ポジションの把握
- 個別技術・特許の動向把握(例:業界に大きく影響を与えうる先端的な技術の動向把握と動向に基づいた自社の研究開発戦略に対する提言等)
- 自社及び競合の状況,技術・知財のライフサイクルを勘案した特許,意匠,商標,ノウハウ管理を含めた,特許戦略だけに留まらない知財ミックスパッケージの提案(例:ある製品に対する市場でのポジションの提示,及びポジションを踏まえた出願及びライセンス戦略の提示等)
- 知財デューデリジェンス
- 潜在顧客の探索を実施し,自社の将来的な市場ポジションを提示する
新規事業探索モデル(ミラー法)
「IPランドスケープを用いた新規事業探索モデルの検討‐富士フイルムの「化粧品事業」探索への適用」では、IPランドスケープの1つである「新規事業探索モデル(ミラー法)」が提唱されています。
ミラー法は、①自社の特許を引用している非競合企業に注目することと、②自社のコアコンピタンスを活かせる新規事業を特定すること、を特徴としています。
下図を見ながら少し掘り下げると、①は、自社の特許が非競合企業によって引用されているということは、その非競合企業が、元々保有していたコア技術に自社のコア技術を活用した新規事業を検討しているということであり、つまり、自社技術を引用している企業がいて、かつその企業が自社と非競合関係にある場合、その非競合企業のいる業界に参入すればよいということを説明しています。②は、自社と競合企業とのコアコンピタンスが異なる限り、互いのコア技術を取り入れた新規事業を同時に実施したとしても、依然として互いに技術的優位性を確保できるため、ミラー法においてはコアコンピタンスの特定が重要であるということを説明しています。
本論文には、ミラー法の手順について、コア技術の特定から新規市場の特定、参入合理性の検証まで詳細に掲載されていますが、内容が専門的になるためここでは説明を割愛します。本論文では最終的に、ミラー法が富士フイルムの化粧品事業に適用できることが実証されています。実際の新規事業探索においては、特許分析だけでなく、さまざまな要素が考慮されますが、特許分析は、多角化戦略において市場調査や競合分析と並んで重要な要素とも言えます。
多角化戦略に特許分析を取り入れるメリット
特許分析は、戦略策定の意思決定を補完する役割を果たします。多角化戦略に特許分析を取り入れるメリットについて、以下にいくつか紹介します。
- 市場の理解
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特許分析によって、新たな市場や分野における技術動向や競合状況を深く理解することができます。これにより、多角化先の市場の特性やニーズを把握し、適切な戦略を立案することができます。
- 成長機会の特定
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特許分析を通じて、新たな技術や市場での成長機会を特定することができます。特許マップから優れたアイディアや未開発の領域を見つけ出し、それを活かした多角化の可能性を検討できます。
- 競合分析
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特許分析は競合他社の特許活動や技術力を把握するための重要な手段です。どの企業がどの技術領域で活動しているかを明確にすることで、競合状況を正確に評価し、戦略を調整できます。
- 技術シナジーの発見
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既存の技術や特許を新しい事業に活用することで、シナジー効果を生み出す可能性があります。特許分析によって、企業内の技術資産が新しい事業にどのように活用できるかを洞察し、有効なシナジーを発見できます。
- リスク評価
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特許分析によって、新事業展開におけるリスクを評価できます。特許調査によって他社の特許や技術活動を理解し、競合他社との競争状況や知的財産権の問題を予測することができます。
- 戦略の根拠
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特許分析は多角化戦略の根拠を明確にするための基礎となります。データに基づいた分析結果は、企業内外での戦略の合意形成を支援し、戦略的判断の根拠となります。
中小企業の多角化
上記の事例は大企業のものでしたが、中小企業が多角化戦略を検討する場合、どのようなポイントがあるでしょうか。大企業と比較して資源や規模が限られているため、いくつかの異なる側面を考慮する必要があります。以下に中小企業が多角化戦略を実施する際のポイントをいくつか挙げてみましょう。
中小企業は資源が限られているため、新しい事業分野に進出する際には既存のリソースを最大限に活用することが重要です。独自のを持っている場合、それを新事業に活かす方法を探求しましょう。
新たな事業分野を選定する際には、市場調査が不可欠です。中小企業は大企業と比較してリスクを取る余裕が少ないため、市場のニーズや成長潜在性を慎重に評価し、適切な分野を選定します。
中小企業が関連多角化を行う場合、既存の事業とのシナジーを追求することが有益です。既存の顧客基盤や供給チェーンを新事業に活かすことで、競争力を高めることができます。
無関連多角化を検討する場合、新しい分野における専門知識を獲得する必要があります。外部の専門家と提携したり、研修を受けたりして、新事業の成功に向けた知識を蓄積しましょう。
多角化はリスクを伴うことがあります。中小企業は失敗のリスクに対して敏感であるため、リスクを最小限に抑えるための計画を策定します。段階的な進出やテストマーケティングを通じて、リスクを軽減する方法を検討します。
中小企業は変化に適応しやすいという特徴があります。新しい事業分野での変化や課題に柔軟に対応できる体制を整えることが重要です。
【引用文献】
長期存続企業から学ぶ新規事業創造(高井透、神田良)[商学研究 第33号]
富士フイルムが構造転換を成功させた新規事業の取り組み方とは? (ProSharing Consulting)
令和2年度 特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書 経営戦略に資する知財情報分析・活用に関する調査研究報告書(一般財団法人 知的財産研究教育財団知的財産研究所)
IP ランドスケープの基礎と現状(乾 智彦)[パテント2018、Vol. 71 No. 9)]
IPランドスケープを用いた新規事業探索モデルの検討‐富士フイルムの「化粧品事業」探索への適用(伊藤隆太、杉光一成、金沢工業大学大学院)
後発型ヘルスケア製品事業の事例研究‐富士フィルムのアスタリフト‐(白石弘幸)[金沢大学経済論集= Kanazawa University Economic Review]